【デザイン】KENZOとの出会い

KENZOというと、世界的に有名なデザイナーというのは知っていたけれど、

まさか、こんな形で出会うとは思っていなかった。

 

今も昔もKENZOをみたことはない。

会ったことすらない。

 

KENZOというブランドの服を着たこともない。

 

あまりにも無縁の人だっただけに、ある日、思いもよらない形で、KENZOに出会っていたと知った時は、巡りあわせに、心が躍った。

 

KENZOが亡くなったニュースが流れてきた時は、まだ正確にはKENZOに出会っていなかった。KENZOがパリで亡くなった時、フランスでも、KENZOを追悼するニュースが流れた。

 

それから少し経った頃、図書館で借りた本をめくっていると、KENZOのページに行きあたった。モードの変遷を、写真と解説で年代順に追っていく内容の本だったのだが、その中にKENZOのページがあった。

 

KENZOがファッション業界に与えた影響は、大きいらしい。当時、西洋のモダニズムに新しく映ったのはKENZOの型にはまらないスタイルだったようだ。

 

例えば、1984年のプレタポルテの秋冬コレクション。KENZOの斬新なスタイルが記述されている。

KENZOは、中国の伝統的な花柄模様に南米ペルーを想起させる生地をあわせ、幾何学模様の毛糸編みをはおるスタイルを提案した

出典:Tout sur la mode (flammarion,Paris,2013)

 

今でこそ、デザインに異国情緒を取り入れるのは、目新しいことではないが、1970年代、西洋のファッションが、まだ、西洋主流の枠の中で展開されていたことが伺える。

 

KENZOが導入したフォークロアスタイルは、同時に、和洋折衷という概念をファッションで確立させたということでもあるらしい。

 

KENZOは、シンプルで真っすぐなフォームを西洋のスタイルに融合するため、ダーツをあえて使わなかった。

出典:参照:Tout sur la mode (flammarion,Paris,2013)

 

このシンプルで真っすぐなフォームは、着物から着想を得ているらしい。

 

これらのKENZOの功績を、わたしは初めて知った。当時のKENZOスタイルの大胆さが、今でもこうして、歴史として語られることは、なにか心を掴まれる思いがした。

 

KENZOがデザイナーとして初めてパリにブティックを構えたのは、1970年で、ブランド名はJUNGLE JAP。

 

なんだか見たことのある名前だと思ったら、いつかどこかで手に入れた、愛用の古着のセーターが、このJUNGLE JAPのものだった。

 

カラフルで、大胆で、フォークロアスタイルのセータ。

眺めてみると、当時のKENZOの奔放さが伝わってくる。

 

100%ウール、極太毛糸4色で編まれたセーター。Made in Portugal

ボタンがふたつ、とれている。そして、袖の部分の毛糸は、大きくほつれてしまっている。

 

着ると重いけれど、とてもあたたかい。そして、この色合いと遊び心が詰まったデザインが、楽しい。

 

ほつれたところをずっとそのままにして、もう数年がたった。そろそろなおしてしまいたい。なかなか手に入らなかった極太の毛糸が、やっと、みつかった。色は少し違うけれど、これでどうにかなるといいな。

ポケットがついている

JUNGLE JAP