手を動かすということ

洋裁をひとりで学ぶのはたやすいことではないと思うけれど、昔ほどではなくなったのは確かかもしれない。今は初心者にもやさしくいろいろなことをおしえてくれる洋裁動画がたくさんあるし、専門知識が豊富な書籍も多く出版されている。

 

家庭科の授業で学んだことをほとんど覚えていなくても、時間と根気があれば、何歳からでも、たったひとりで洋裁を始めることができる。というか、どんな学びに限らず、そうであるのかもしれない。

 

田舎で、時間はたっぷりあって、お金がほとんどないものにとって、手を動かすという行為は、いろんな面で効果的であるようだ。

 

それが最初にわかったのは、庭仕事を通してだった。

 

無限に草が生い茂った荒れ果てた庭を、なんとか野菜作りのできる田畑にするために、草を刈り、硬くなった土を掘り返し、野菜を植えた。

 

その一連の作業の間、無我夢中で手を動かしている間、身体がほてって、たくさん汗をかいた。そして、得体の知れない満たされたなにかを感じたのだった。

 

洋裁は庭仕事と同じで、時間の流れの中で、小さな仕上がりを構築していくという手作業だ。

 

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完成するものを先に見据えてはいるけれども、実は手を動かしているその時間が楽しいわけで、その時間がかけがえのない、得体の知れない満たされたなにかを感じられる時間なのだ。

 

実際、そのものが完成してしまうと、その時間が終わってしまったことが、すこし悲しくもあり、だからまた、新しいなにかをつくりたくなる。

 

つくるもの自体は、なにであっても、それが庭仕事であっても、洋裁であっても、その他の手仕事であっても、満たされたなにか得体の知れない幸福感というのは、手の中にある、それが、すごいことのように、最近つくづく思う。