田舎に住んでいると図書館は、午後いっぱい、居座れる、本格的な娯楽とリラクゼーションを兼ねた、お金のかからない場になる。
車で15分の場所に、吹き抜けのある、少しだけ大きな図書館がある。
本の貸し出し期限が切れる2週間に一度、その図書館に行って、読めない本をぱらぱらめくる。
読める本は漫画と絵本くらいだけれど、その他にも、気合を入れて読めば、電子辞書の助けを借りて、読める本もなくはない。
小説を読もうと思うと、読めそうな小説を選ぶのに時間がかかる。
最近、ともだちが置いていってくれた、日本語のムラカミハルキの短編小説集を読み終えたので、これは、話を全部知っているから、フランス語で読めるかもしれないと思った。
それで、図書館で借りてきて、読み始めた。
話の内容を全部知っているだけで、こんなにすらすら読めるものなのだな。
と、嬉々として読み進めていたのだけど、やっぱり、時々、つまずく。
みたこともきいたこともない、単語が、突如として出てくる。うっすらと掴み始めていた読書のリズムを失って、先のページをめくるのが、億劫になる。
話の内容は知っているから、読もうと思えば読み進められるのだけれど、こうゆうう苦痛をかかえてまで、読書をするのは、本末転倒だな、と思う。
上級でもない限り、外国語で小説を読むのは難しい、といってしまえばそれまでなのだけれど、中級なりに、やっぱり、外国語で、ものを読みたい。
今まで、いろいろ手を出してきた。
とりあえず、好きだと思った日本語の小説のフランス語版の小説は、借りてみて、1ページでもいいから開いてみる。それで、いやになったら、やめる。
そのうちに小説に限らず、漫画、エッセイ、絵本、ハウツー本、一通り試した。
それで、いくつか、びっくりするくらい、たのしく読める書籍があった。
その中には、日本語として話の内容を知っている翻訳本ではなく、元がフランス語で書かれている、描かれている、ものもある。
オリジナルのテキストで読めるということには、特別な喜びがある。
上級者でないと、ちゃんと内容を理解できない、とか、読んでいても深く読めてはいない、とか語学レベルは短絡的な線引きをしがちだけれど、中級だろうが、初級だろうが、
本を読んでいて楽しいことが、一番大事な事なのだから、楽しく読めるものだったら、それでいいのだろうな、と思う。
フランス語版で『ドライブ・マイカー』と『独立器官』を平行して読み進めていく。
『ドライブマイカー』の方がするする読めるような気がしている。『独立器官』の方は、一文章が長かったり、言い回しが濃厚で、フランス語でもそこがネックになる。
『ドライブ・マイカー』は一定のテンポに沿うように、シンプルな言葉で綴られている。
☆☆☆
一年前くらいに、フランス語だけで、最後まで読めた唯一の小説がある。
中級フランス語でも、原本で読めたことに、びっくりした。
突如現れる、摩訶不思議な単語を、時々電子辞書で引いたりもしたけれど、
途中でやっぱり面倒になって、そうゆうコトバは、置き去りにしてどんどん読み進めていった。最後までそんな風に読み進めて、おもしろかったと思えた小説だった。
漫画では、文字が読めなくても、絵が誘導してくれるから、中級にとっては最も楽しく読める。インディペンデント系の出版社になると、個性豊かなスタイルの漫画がたくさんある。
ベルギーの都市、リエージュを舞台にした若者たちの群像劇。日常のシンプルな言葉だけで展開していくストーリーが、フランス語で読んでいる事を忘れさせる。
繊細なタッチが、現代の若者の無気力感をきれいに現わしていている。短くシンプルな言葉の中に、ちゃんと感情があるのが、すごい。
原作を知らずに、フランス語版で読み始めた。おもしろかったのは、中級フランス語のボキャブラリーだけで、こんなにいろいろな言い回しができるんだ、という発見だった。
文字だけを追っていると、言葉は理解できるけれど、言い回しの中に含まれる、ニュアンスまでは、感じたり、感じなかったり。
きっとこうゆうニュアンスだろうな、と想像しながら読んでいくと、いつか日本語版で再読するのが、楽しみになる。
おもしろい作品というのは、どんな言語で読んでもおもしろい。
当たり前なのだけれど、そうゆうものは、何度も読み返せる。外国語なのに、それでもノスタルジーに浸れる。