うんじゅうねん前、まだポッドキャストという音声配信のツールがなかった時代、外国語を耳にできるのは、映画という作品の世界の中だけだった。
他にもツールはあっただろうけど、
専ら、映画の生きた言葉が、格別で、
それは
言葉を学ぶときの高揚感
を味わわせてくれた。
ポッドキャストとSpotifyの登場
すごい!!!
と思った。
外国語の番組が、いくらでもきける…!!!
うんじゅうねんまえは、フランスのラジオ番組を日本できくことさえできなかったよなあ…
映像 VS 音声
映画は、映像と音声が同時に機能する。
秒単位で入ってくる映像からの情報と、
馴れない言葉の連続
情報量が、多すぎる。
試しに、映像を完全にオフにして、映画作品の音声だけを、きくことにもチャレンジした。
これは、全然うまくいかなかった。
ポッドキャストの短さと、耳に特化した音声エッフェクト
短さ
この短さは、掃除機をかけている間だけ、お風呂に入っている間だけ、という具合に日常に言語学習を取り入れたいときは、とても便利。
音声エフェクト
ある日こんなことを考えた。
ポッドキャストの中で誰かがジュテームといったとき。
バックにクラシック音楽が流れている
クラシック音楽がデクレッシェンドで消えていく
そのあとに続くシナリオを予兆させる、バーンという効果音が響く
この3つのステップの中で、ジュテームをきくと、ジュテームそのものが、生きた言葉で入ってくる。
生きた言葉のすごいところは、母国語を介入させない殻をまとっていて、
ジュテーム=愛してる
という図式よりもっと遠いところにつれていってくれることにある。
母国語さんがこっちをみている
多分、外国語をきいているときに耳がだんだん高揚してくるかんじは、母国語がなんらかの形で外国語の後ろに隠れたときなんだろう。
例えば、ジュテームときいて、ジュテームと理解したときに、
となる。
あっ!となるのは、ジュテームに訳語がつかないとき、母国語が、遠くからただこっちをみているときだ。
と思うのだけれど、母国語さんは、じっとして動かない。
Spotifyで減速モード ×0.8で外国語学習
これも画期的だった。
そもそもゆっくりしゃべってもらわないと、情報が筒抜け状態の人間は、外国語さんには、さらにゆっくりしゃべってもらわねばならない。
最近、減速モードの ×0、5で本当にあった怖い事件簿をきいている。
スピードが二分の一ともなれば、さすがに音声に支障がでるのだが、こちらも馴れてしまえば、耳の高揚にはいい。
この番組の効果音は、サスペンスの抑揚感が抜群。
掃除機をかけながら、社会を知る
社会を知るというのは大げさだけれど、
ドキュメンタリーというのは、生きた人間がでてくるので、かなり耳の高揚にはいい。
掃除機をかけながら、笑う
迷惑電話
普通はこうゆうことはしてはいけない。
マルタンという人が、迷惑電話をかけその音声を録音するという、
ものすごく人に迷惑をかける企画だ。
電話先は、企業や商店や行政サービスなどで、たまたま運悪く電話に出てしまった人が、マルタンのおふざけに巻き込まれるというシナリオだ。
個人的にびっくりしたのは、迷惑電話だとわかっていながら、相手を無視して電話を切る、という人が少ないことだ。
怒っているひとのユーモアが、ぐさぐさと胸に突き刺さるのは、フランス語という言語の奥深いところでもある。
スタンダップコメディ
ピン芸人が舞台に立って、お客を笑わし続ける。
掃除機をかけながら泣く
まだ泣けるものはみつかっていない。