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【エッセイ】【洋裁独学】こんなに服が消費され廃棄される時代に、わざわざ服をつくる理由

仰向けになっている人とその周りに服の山


古着が溢れ、ワンコインで服が買える時代

 

時々足を運ぶ

古着の蚤の市には

 

本当にびっくりするぐらいの

古着の山

 

数十メートルにもわたって

続いている

 

毎回圧倒されるその山を

なんとなくぼんやり眺めていると

 

 

 

世界には

こんなに服が存在しているのに

 

わざわざつくる意味って

あるのだろうか

 

という

虚しい気持ちに陥ったりする

 

ワンコインで買える服が

ほぼ無限に生産され続け

 

それによって環境まで汚染され

 

堆肥にも還元できない繊維は

可燃ごみとして

処分され

 

地球温暖化が進み……

 

 

 

どう考えても

 

 世界に服が増え続けていることで害が生じている

 

こんな状況、

こんな時代に

服をつくるなんて

 

 ナンセンスだ

 

という考えは

まったくといってよいほど

 

その通りなのだと思う

 

ドレッサーの中の大量の服と女

 

今着たい服は今手に入る

 

今年のトレンドや

オケージョンに合わせて

 

今着たい、今はいらない服を

個人で売り買いしたりできるようになって

 

ますます

 

時間と労力をかけて、自分で服をつくる意味

というのを

 

改めて、自分に問うては

 

 うん、それでも、服はつくりたいよね

 

という風に思うこともあれば

 

 こんなことを、しなくとも、すぐ手に入るのに

と思うこともある

 

もちろん

 

このような

生産的か、非生産的か、の問題を抜きにすれば

 

洋裁の独学は

 

 

趣味

手仕事

ハンドメイド

 

 

 

などの活動として

 

時代や背景は関係なしに

楽しめばいいのだ

白い布とそれを縫う手

 

しかし、この

 

なんでわざわざつくるのか

 

という問いは

制作をたのしむ以外の

もっと個人的な

百人百通りの答えがあるような気がしている

 

そして

その問いを

自分に問うてみると

わたしの答えはこのようになった

 

 

世界に、じぶんにぴったりに合う服が存在しないから

 

 

 

自分にぴたりと合う服はどこかに存在する

と思って

いろんな服を買ったり

試したりしてきたけれど

 

洋裁の独学を通して

はじめて気づいたことがあった

 

 

 既成服は

万人に合うようにつくられているから

 

だいたい合えばいい

 

と思って選びとっていくべき

 

 

 

あの、ふくの山の中には

自分に近いサイズでつくられている服は

やまほどある

 

けれど

 

自分の体に合うように

その体のためだけにつくられた服は

存在しない

 

 

洋裁の独学を通して

わかったことは、ある意味

 

 残酷な事実である

 

 

これ以上世界に服が溢れるのはいかがなものか

という現実的な問題と

 

なのにそのふくの山の中に

わたしが着たいと思えるものが

1着もない

という

どうにもエゴセントリックな考え方

 

世界は服で溢れて今や飽和状態にあるのに

 

そのどれもが

ぴたりと合うことはない

 

 

捨てる、つくる、つくる、捨てる

 

なんかいつも、どっかが合わないんだよな~

 

 

一緒にショッピングにいっても

なかなか服を買うまでに至らない友達は

 

よくこんな風にいっていた

 

 

それはそのはず

 

 

と洋裁をはじめた今なら

言えるかもしれないが

 

既製服がいかに万人につくられているか

というのを知らなかったあの頃は

 

じゃあ、次のお店にいこう

 

と友達の手を引いて、

服探しの旅を楽しんでもいた

 

なぜなら、出会いたい服がどっかにあると信じていたから

白黒の服を着た男女5人

 

洋裁の独学をはじめてから

あまりショッピングが楽しくなくなってしまう

という弊害もあることにはあるが

 

たとえば

 

 

数トンの服が自分の目の前に積まれたとして

その中に本当に着たい服はどれくらいあるんだろう

 

 

10着もないかもしれない

 

だから、どんなに服が溢れても

自分のためにわざわざ自分の服をつくる

 

ことでしか

 

欲しい服がみつからない

 

 

こんなに服が消費され、廃棄されても、

新しく服は生まれ続けるという状況は

 

実は

 

 

こんなに服が消費され、廃棄されていても

各々が各々のためだけに服をつくることでしか欲しい服がみつからない

 

という

ねじれた状況を

生み出しているようにもみえる

 

そう考えると

ないものを自分でつくることでしか

解決策がない

 

という

かなり単純で実際的な理由が

 

わざわざ服をつくる理由

だったりもする

 

洋裁の独学は

あそびや手仕事以上に

 

 

一定の人にとっては必要不可欠な

現実的な営み

 

であって

 

それが洋裁の独学の

なんとも

 

奥深いところでもある